邪馬台国

邪馬台国はこんな雰囲気だっただろうと想像する。勿論家のつくりは今様ではないが。
人は弱い存在だった。当然「祈る」とか見えないものの存在を意識していただろう。
近代でも、単なる人間中心的な考え方より、「自然と人間を超える存在」に関ることによって初めて人間たりうる。と言う人もいる。
味のある言葉だ。そういう根源的な哲学をしていないと表層的になる。私みたいに。
今日はここまで。