違いか差別か

違いと差別では意味が全然違う。先日三朝町でも「差別を考える集会」があったばかりだが、人の意思あるいは意識が入るかどうかだ。この種の問題の延長に教育現場の「いじめ」がある。いくら人権学習をしてもなくならない。もしかして人権学習の限界とまでは言わないが、他に学習の大きな柱がいるのではないかと思う。
魚の世界はどうだろう。確かにおいしい魚とそうでないのがいる。これはわれわれの食感が決めるので「意識」は入っていない。完全に差別ではない。それにしても「サーモン」と「たこ」ではこんなに違いがあるとは。彼らが言葉を話し、この違いを見たら、彼らの世界で大きな問題にしてるだろう。想像は限りなく広がる。


今日はここまで。